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厚真町の近年の発掘成果

厚真町は、アイヌ文化が息づく豊かな大地と、歴史が刻まれた遺跡に満ちています。私たちは、発掘調査を通じて地域のルーツを見つめ直し、未来へ伝える活動を続けています。

 

アイヌ文化の美しい工芸品や伝統が教えてくれるのは、人と自然が調和する豊かな生き方。そして、考古学的な発掘調査によって明らかになるのは、かつてこの地に暮らした人々の知恵や営みの記録です。

これらの活動は単なる歴史の研究ではなく、地域の魅力を再発見し、新しい価値を生み出すことを目指しています。

ぜひ、厚真町が誇るアイヌ文化と発掘調査の成果を通じて、いにしえの物語に触れ、未来へ続く地域の可能性を感じてみませんか?

ミッシングリンクがつながる
厚真の歴史

時代概要

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厚真町では、旧石器文化の時代から縄文文化の時代、続縄文文化の時代、擦文文化の時代、アイヌ文化の時代の遺跡が数多く発掘されており、長い歴史の中で人々が自然と共に生きてきたことがわかります。狩猟や採集、交易を通じた生活の知恵は、時代ごとに変化しながらも受け継がれ、やがて先住民族アイヌの独自の文化として北海道の歴史・文化に発展しました。

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縄文からつながる
​アイヌ民族の歴史

厚真町では、約6,200年前の縄文時代早期に石英結晶を含む「キラキラ土器」の内陸交易ルートが成立していました。この道はアイヌの人々にも受け継がれ、アイヌ語地名として、現代の私たちにも「道道北進平取線」として蘇っています。

また、厚真町や北海道の重要な自然資源の一つであるエゾシカは、縄文文化の人々の遺跡から廃棄儀礼場の「シカ塚」や落とし穴がみつかっており、後世に続くアイヌ民族にも「シカ送り儀礼」があります。時代が移り変わっても、人々は厚真の地で自然と共に生き、その知恵や文化を受け継いできました。この地には、数千年にわたる暮らしの足跡が今も息づいています。

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日常の営み(生活)​

厚真町の発掘調査ではアイヌ民族の平地式住居跡がみつかっており、出土品などから狩猟や採集、交易を通じて豊かな生活を築いていたことがわかります。食料としての肉や衣類などの各種道具に用いるエゾシカと密接に関係した暮らしや、交易で得た金属製品の利用など、自然の恵みを最大限に生かした生活の知恵が詰まっています。

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象徴的な遺跡(チャシ跡)

チャシとは、アイヌ民族が築いた砦や祭祀の場です。厚真町の遺跡には、チャシの起源と考えられる約1,000年前の祭祀遺構や最古級のチャシ跡が見つかっています。その後、交通の要所などに外敵から身を守る砦としてのチャシ跡もみつかっています。アイヌ社会の変遷を探る重要な手がかりとなっています。

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感謝と祈り(儀礼)

アイヌの人々は、自然界や身の回りの道具や物事のあらゆるものにラマッ(魂)が宿ると考え、祈りを捧げてきました。厚真町の遺跡からも、シカ送りやカムイノミの起源を示唆する儀礼場跡が見つかっており、信仰と深く結びついた生活があったことがうかがえます。

その精神文化は、専門研究者の想定以上に古く、約1,000年前には成立していたことがわかりました。

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旅立ちとイコ(お墓)

発掘調査で見つかったお墓は故人に対する当時の人々の思いや死生観のほか、副葬品から交易や社会構造の一部を私たちに伝えてくれています。

特にお墓には、当時のイコ(宝物)となる貴重な交易品が副葬され、厚真町が拠点的で豊かな地域であったことがわかりました。

厚真町では、毎年10月第一日曜日に厚真アイヌ協会の主催で先祖供養祭「カムイノミ・イチャルパ」を実施しています。

厚真のアイヌ文化は歴史の宝庫

​交易品から見える、人や物が行き交かった証

​​​発掘された出土遺物は、この地に暮らしてきた先人たちのさまざまな歴史や文化を語る重要な手がかりです。厚真で見つかった貴重な交易品などを紹介します。

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​​​​​1.「厚真川上流域・山奥の遺跡群」

厚真町では、平成14年から厚真川上流域、河口から約34km地点に厚幌ダムを建設するための遺跡の発掘調査がはじまりました。二級河川の比較的小規模な河川でありながらも、山奥の上流域には数多くの新たな遺跡が見つかりました。他の地域には見られない特徴でもありました。

 なぜ、山奥にたくさんの遺跡が残されたのでしょうか・・・。

2. 「キラキラ縄文土器」(交易ルート)

 厚真町で発掘された石英結晶を多量に含む土器は、親しみをこめて「キラキラ土器」と名付けました。富良野盆地などの北海道内陸部から厚真へ運ばれたと考えられており、両地域を結ぶ約100キロの交易ルートの存在が明らかになっています。この道は約6,200年前から続いていたと考えられ、当時の人々が遠方と交流しながら、文化や技術を広めていたことを示しています。厚真川上流域はその交易ネットワークの重要な拠点として機能し、広域の文化交流を支える役割を果たしていました。

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3.「エゾシカの恩恵を授かった人々」(交易を支えた地域資源)

厚真町は現在でもエゾシカが多い地域であり、現在は農作物被害や交通事故などマイナス面ばかりが目立っています。しかし、縄文文化の時代以降、アイヌ文化においてもシカは貴重な食料や道具の材料として、そして続縄文文化や擦文文化の時代以降、丈夫なシカ革は、本州の人々が欲する交易品として貴重な地域資源であったと思われます。

そのシカを単に資源としてのみではなく、カムイからの恵みとし、感謝するアイヌ民族の精神文化を伝える発見が数多くみつかっています。

アイヌ文化において、シカは貴重な食料であり、衣服や道具の材料としても利用されていました。厚真で見つかったシカの骨や加工品は、狩猟が生活の中心だったことを示しており、シカを神聖視し、その恵みに感謝するアイヌの精神文化とも深く関わっています。

4.「豊富な金属製品」(交易と生活)

発掘調査で出土したカネス(鉄鍋)やマキリ(刀子)などの日常生活に使う金属製品は、主に本州との交易で入手した日常必需品です。厚真町では擦文文化の時代の後半期以降、多量の金属製品が出土しており、シサム(隣人・主に和民族)とのダイナミックで活発な交易を行い、決して閉ざされた社会ではなかったこともうかがえます。

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5.「道内最古級の火打石」(交易と技術の伝播)

火は人類にとって日常生活で欠くことのできない大切な存在です。北海道では縄文文化の時代以降、摩擦式発火技法の道具が発見されていますが、厚真町からは本州系技術の火花式発火技法の「北海道最古級の火打石」とその使用痕跡が約1,000年前のたき火跡からみつかっています。

技術の伝播は、使用方法を習得した本州系の人が厚真の山奥にまでやって来ていたといえ、さらに「最古級」は当時として「最新」の技術が入ってくる地域であったことがうかがえます。

6.「ダイナミックな交易」(海峡を行き交うアイヌ民族)

10世紀後半以降の擦文文化の時代の後半期やアイヌ文化の時代の祈りの場やお墓からの出土品には、朝鮮半島や博多、京都、愛知や鎌倉、青森、さらに遠く離れたロシア極東地域などの北方大陸世界で作られた品々があります。

これらはアイヌ民族が海峡を越えて本州や海外と活発に交易を行っていた証拠です。北海道が広範な経済ネットワークの中にあったことを示し、厚真はその拠点的地域であったことがわかります。

現代社会においても、空港や港湾に近い地理的好条件や自然と調和した田園風景を踏まえると、厚真町の未来へ秘めた可能性を考えることができます。​​

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大地に刻まれたアイヌ民族の精神文化​​​

​​​​北海道の様々な自然環境の中で、カムイと共に暮らしてきたアイヌ民族の精神文化は、現在の私たちに大きな示唆を与えてくれます。厚真町の発掘調査で見えてきたそのルーツについて紹介していきます。​​​​​​​​​​​​​​​​

1.「アイヌ民族の伝統儀礼・カムイノミのルーツ!?」(伝統儀礼)

アイヌ民族は、カムイ(神々)に祈りを捧げる「カムイノミ」という儀式を大切にしてきました。厚真では約1,000年前の火を伴う儀礼場跡が見つかっており、現代まで受け継がれてきた信仰・伝統文化のルーツがわかり、北海道などにおいて長い歴史と文化を育んできた先住民族といえます。

2.「変容する儀礼・シカ送り」(信仰・儀礼)

アイヌ文化では、あらゆる事物の魂・霊をカムイの世界へ送り返す「送り」の儀礼が行われていますが、エゾシカは「カムイがアイヌ(人間)の世界へ送り出す獲物」と考えられ、「送り」の対象外と言われてきました。

厚真町の発掘調査では、シカの頭骨だけがまとまった範囲や大木の根元でみつかるものなど「特別な扱い」があり、シカ送り儀礼が行われていたことがわかりました。

世界中のさまざまな民族と同じく、アイヌ民族も自然環境の変化に応じた柔軟な変容、対応性をもっているといえます。

3.「神聖な方位観」(信仰・儀礼)

この地域のアイヌ民族は、東にカムイの世界があり、西に死後に向かうべき世界があるという方位観をもち、チセ(家)やヌササン(祭壇)、お墓にこの考えがみられます。厚真町の発掘調査で見つかったチセ跡や儀礼場跡にも大切な方位観をみることができ、カムイの世界の精神文化の成立が約1,000年前に遡ることがわかりました。

4.「北海道最古級チャシ跡とその起源」(チャシ跡)

アイヌ民族の歴史や精神文化を象徴するチャシ跡の成立は不明な点も数多くあり、一般的には16~18世紀、古くても14世紀後半の年代観が通説となっています。

厚真町の発掘調査では、儀礼場としての性格を想定する13世紀代のヲチャラセナイチャシ跡がみつかり、さらに遡る10世紀後半から11世紀前半にかけての擦文文化の円形周溝遺構など、チャシ跡の成立起源と注目される構築物もみつかっています。このほか、町内には15世紀代の戦闘・防御機能の桜丘チャシ跡も残されており、チャシ跡の成立起源やアイヌ民族社会の発展過程を考えることができる貴重な発見です。

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